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安田猛 (野球) : ミニ英和和英辞書
安田猛 (野球)[やすだ たけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

安田猛 (野球) : ウィキペディア日本語版
安田猛 (野球)[やすだ たけし]

安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手投手)。
== 来歴・人物 ==
小倉高校時代にの第37回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で、この大会で準優勝する市和歌山商の岡本喜平投手と投げ合い惜敗。高校卒業後は早稲田大学教育学部へ進学。東京六大学リーグでは秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算18試合に登板し4勝2敗。早大時代は同期の小坂敏彦に次ぐ二番手に甘んじた。他の大学同期に谷沢健一荒川堯小田義人らがおり、安田も含め7人がプロ入りしている。
小田とともに社会人野球大昭和製紙に進み頭角を現わす。の第41回都市対抗野球大会で優勝、最優秀選手の橋戸賞を受賞した。なおこの大会の予選はぎりぎりの通過だった。本選出場まで1ヶ月しかない間に、大学の先輩である長倉春生捕手からアドバイスを受け、安田は遅いボールのマスターに取り組み60キロほどの超スローボールをものにした。この球を武器に全試合ロングリリーフに立ち、決勝戦引き分け再試合を挟んでチームを優勝に導く。この都市対抗が野球人生のターニングポイントになったと語っている〔「1ヶ月あれば投手は生まれ変われることを体験した男 安田猛」 『週刊ベースボール』2009年8月17日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20443-8/17、16-17頁。 〕。1971年のドラフト6位でヤクルトアトムズに入団。
技巧派投手として入団当初から活躍し、1年目に7勝5敗、防御率2.08の成績で新人王最優秀防御率のタイトルを獲得、翌年にも防御率2.02で最優秀防御率を獲得、またこの1年目と2年目にはリーグ最多登板試合も記録する。小柄なサイドスローの投手で、抜群のコントロールと緩急自在の投球術、機敏な動きから「ペンギン投法」と呼ばれ、名投手としてファンに親しまれた。1975年からは4年連続二桁勝利、1978年のヤクルトの日本一の年には15勝をあげ優勝に貢献した。
左のサイドスローから繰り出す球はスピードはないもののどれもかなりのクセ球であり、真ん中のストレートもチェンジアップがかってフラフラと決まるものだった。王貞治は安田を苦手にしており、王の対安田の通算打率は2割5分4厘にとどまっている。これは王の全盛期のセ・リーグの主力投手の中ではずば抜けた記録である(当時セ・リーグ最強の巨人キラーとして鳴らしていた平松政次への王の通算打率は3割7分、王への対抗心を激しく燃やした江夏豊への王の通算打率は2割8分7厘、星野仙一への王との通算打率は3割1分8厘である)ちなみに王が世界新記録の756号をかけた打席で王と安田は七回対戦しているが、安田は真っ向勝負ですべて無安打に打ち取り、結局、王に756号を被本塁打された投手は同僚の鈴木康二朗になってしまった(ただし鈴木が756号を王に打たれたのち、757号を打たれた投手は安田である)。プロ入りしてから伸び悩んでいたサイドスロー左腕の永射保は、安田が王を巧みに打ち取るのを見て「遅いクセ球で打者を翻弄する方法もあるんだ」と開眼し、以後、日本を代表するリリーフ投手になった。
7月16日の阪神タイガース戦から9月9日の阪神戦まで81イニング連続無四死球のプロ野球記録を樹立。田淵幸一への敬遠四球で始まり、同じ田淵幸一への敬遠四球で記録が止まった〔リーグ最多無四球試合を四回達成している。田淵敬遠で始まり田淵敬遠で終わった安田猛の無四死球記録 〕。に膝を故障したことで成績が低迷し限りで現役引退。
引退後はヤクルトの一軍投手コーチ( - , - )、スカウト、スコアラー、編成部長を歴任。コーチ時代には2度のリーグ優勝との日本一に貢献している。野村克也はヤクルト監督時代に雑誌「ナンバー」にて、安田を「名スコアラー」と評している。オフに退団し、翌より夕刊フジ評論家となった〔【夕刊フジ編集局から】安田猛氏の「それ行け!ヤスダ」新連載スタート 〕。現在は評論活動も並行しつつ、JR東日本硬式野球部の臨時投手コーチを務めている。
いしいひさいち漫画がんばれ!!タブチくん!!』では、彼がモデルの『ヤスダ』投手が登場し、「新魔球」をたびたび披露して活躍する。この「新魔球」は前述の安田のクセ球がヒントになったものである(なお、チームメイトの大矢明彦が『オーヤくん』、当時ヤクルト監督だった広岡達朗が『ヒロオカ監督』で登場)〔いしい『がんばれ!!タブチくん!!』双葉社2巻30頁、3巻49頁、他〕、ペンギンに例えられるキャラクター描写もある〔いしい『がんばれ!!タブチくん!!』双葉社3巻56頁〕。これに対する彼へのお礼は『がんばれ!!タブチくん!!』映画のペアチケットだけだったらしい。このキャラクターはコーチ昇格後だけでなく、小説雑誌編集者など役柄を変え、いしいマンガに重用され続け、今なお朝日新聞連載「ののちゃん」に小学校教師として(同僚役のタブチともども)登場し続け、いしいの漫画世界の主要キャラの一人になっている。ただし、これらの漫画でのイメージが強いせいか、友人でスワローズのファンであった小野ヤスシは自らの著書で、実際の本人とは違うと記している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安田猛 (野球)」の詳細全文を読む




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